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2016年9月16日 (金)

◆「再会」矢沢宰

朝方は少し肌寒いほどになってきました。
いよいよ秋ですね。
毎年、秋になると必ず思い出す詩があります。
秋にならなくても、ふとした拍子に、この詩のことを思います。
中学生の時に読んだ、矢沢宰さんという方の「光る砂漠」に収められていた一篇です。


再会


誰もいない         
校庭をめぐって         
松の下にきたら         
秋がひっそりと立っていた
        
私は黙って手をのばし
秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに見つめ合った




初めて読んだ時、何も悲しいことなど書いてないのに、涙がポロポロ零れました。
再び巡り会った「私」と「秋」。
今この瞬間、「私」と「秋」の間には、他には何にもないのです。
その烈しさ、美しさに、私は圧倒されて涙を流すよりほかなかったのです。

矢沢宰さんは、職業詩人ではありません。
腎臓病を患い、わずか21年10か月で亡くなってしまった少年です。
健康でいられた期間は、生涯の中でたった8年であったといいます。
殆どの時間を学校にも行けず病床で過ごしながら、詩を書きためていきました。
詩は、矢沢さんの生きる力すべてだったと言って良いのかも知れません。
一本のすじ雲を、雪を、いちごの花を濡らす雨を、入道雲を、そして愛する人を・・・
矢沢さんは、その瞳に映るもの、魂に触れるものを、
「詩」という命の塊に変えて、私たちに遺してくれました。

今、「季語と向き合う」ということを考える時、
この詩を思わずにいられません。
なかなか、なかなか出来ないでいますが、
少しでも、ほんの少しでも、矢沢さんのような視線で世界を見つめられたら、と思うのです。

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コメント

人生の中で感じ取る量とか、表現できる量とか決まっているのかも知れない。
短い分、凝縮しているのだろうか?
あるいは、体が敏感であることが、短命と才能を同時に与えているのだろうか?

自分たちは、生きた証しを何か残せるだろうか?

◆亜阿介さま

コメント有難うございます。
矢沢さんの病気は、現代であれば治せたものということで、
非常にやるせない思いです。
矢沢さんの詩は、多くの人に感動と感銘を与え続け、
今でも検索すれば矢沢さんの詩を紹介している記事に巡り会えます。
是非、矢沢さんの魂に触れてみて下さい。
亜阿介さまの探している「上質な詩」が必ず見つかります。

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