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« 【佳】新涼の甘噛み繰り返す夜更け | トップページ | 台風の前日をただ遊びけり »

2016年9月18日 (日)

◆「木」金子みすゞ



小鳥は
小えだのてっぺんに、
子どもは
木かげのぶらんこに、
小ちゃな葉っぱは
芽のなかに。

あの木は、
あの木は、
うれしかろ。



金子さんのあまりにも有名な詩集『私と小鳥とすずと』に収められている一篇。
どの詩も、誰にでも分かる易しい言葉で書かれていますが、
そのどこまでも深い眼差しに鋭く胸を射抜かれることがあります。
誰にでも分かる易しい言葉で、誰もが知っている事柄を描きながら、
誰もが思い至らなかったところにまで眼差しを向けている。
その切れ味は、まさに俳句的と言ってもいいかも知れません。
ラストの「ドキッ!」具合では、有名な「大漁」も凄いのですが、
ほろほろとどこまでも優しい気持ちになれる「木」を今回は紹介させて頂きました。

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コメント

障害児、特に発達障害、それも自閉症などの、しかも知的障害の少ない子どもに関わる者であり、親の自分自身本人も自覚があり診断も受けている者としては、金子みすゞ さんはとっても大切な人です。

「みんな違って、みんないい」

このフレーズは毎日のようにこういった子を持つ保護者の間で飛び交っています。
この言葉を発しただけで、金子みすゞ さんという詩人は、私達の間では神さまのような存在と言っても過言ではないかもしれません。

とにかく平等の精神が深く、雪の詩の思いやりには涙が流れます。
思いやりは想像力であり、組長が愛がなければ俳句ではないと言い切る姿勢に通ずるように思うのです。
多様性の許容と赦しの精神は、神という言葉が言い過ぎではないような気さえするのです。

◆亜阿介さま

金子さんの詩をご存知で、なおかつ涙を流す感受性をお持ちでしたら、
すでに「上質な詩」が何なのかも既にお分かりのことと存じます。
亜阿介さまの日々の、日常の、嬉しいこと悲しいこと、有難いことなどの中に、
亜阿介様にしか綴れない詩が必ずありますねshine
ちょうど、今日友人と会って、貰った冊子の中に、こんな一文がありました。
出典は「読売 2015年7月14日」とあります。

俳句は小魚だ。
しゃかりきに捕まえようとしてもするりと逃げるばかり。
でも遠くへはゆかず眼前にたゆたっている。
苦労して掴まえても水と同じ。
食べても腹はふくれない。
眼前のそれを、ときに追い、ときに愛で、ときにうまく掴まえたと有頂天になり、
ときにほったらかしにする。
そんな関わり方が俳句にとってベストなのではないか。
そんなふうに思うのだがいかに。 (小林恭三)

◆亜阿介さま

金子さんの詩をご存知で、なおかつ涙を流す感受性をお持ちでしたら、
すでに「上質な詩」が何なのかも既にお分かりのことと存じます。
亜阿介さまの日々の、日常の、嬉しいこと悲しいこと、有難いことなどの中に、
亜阿介様にしか綴れない詩が必ずありますねshine
ちょうど、今日友人と会って、貰った冊子の中に、こんな一文がありました。
出典は「読売 2015年7月14日」とあります。

俳句は小魚だ。
しゃかりきに捕まえようとしてもするりと逃げるばかり。
でも遠くへはゆかず眼前にたゆたっている。
苦労して掴まえても水と同じ。
食べても腹はふくれない。
眼前のそれを、ときに追い、ときに愛で、ときにうまく掴まえたと有頂天になり、
ときにほったらかしにする。
そんな関わり方が俳句にとってベストなのではないか。
そんなふうに思うのだがいかに。 (小林恭二)

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