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2018年7月 5日 (木)

赤潮や踏めば病気の分かる石

兼題「赤潮」の発表です・・・!
12句中、2句を【人】に採って頂けました。望外の結果に感謝ですshine

赤潮や世界は螺旋で出来てゐる
赤潮や踏めば病気の分かる石


アーッ、封印したつもりだったのにまた「石」がっ!
全然ダメだなあ、他にも下五「花崗岩」とか送ってるしcoldsweats01
「螺旋」は、ちょうどこの時読んでいた夢枕獏の小説の主人公が螺旋収集家で。
病気の分かる石」は、昨年の「青芝」の頃に浮かんでいた十二音です。
ずっと、どんな季語が合うんだろうって思っていましたが、「赤潮」だったとは!
そういえば、木曜掲載の句を見ると、「病気」関連の言葉との取り合わせが多いですね、
なんだか、迷子に居場所が見つかったようで嬉しいshine

雨のせいか、10時すぎまで寝ていました。
これからゆっくり【人】【並】の句拝見させて頂きます。
掲載の皆さん、おめでとうございます!!!



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まつやま俳句ポスト365」カテゴリの記事

コメント

★めぐるさん。「赤潮」の「人」2句おめでとうございます。
金曜日も楽しみですね。😊
「病気のなおる石」「螺旋」のそれぞれの発想の飛躍に驚き
ました。私めの句はどうしても理系の性からか
赤潮の発生の因果関係につい目が行き、季語の説明に
陥ってしまいました。😥
皆さんの「人」のお句の発想の飛ばし方がやっぱ半端なかった。😱
この違いが「人」2句となるか1句が「並」と「人」を行ったり来たり
するかを現しているようです。😅
発想の飛ばし方が私めはどうしてもひとりよがりと
なってしまいます。この境目がまだわからない。😱
まだまだ修行がたりないということですね。😅

◆比良山さん

おはようございます!
いつもコメントありがとうございます、本当に励みになります。
昨夜の「プレバト!」でも、「説明しない」「俳句は因果関係を嫌う」と言われていましたね。
とりあえず「季語入りの文章を避ける」と思っていれば、
だらだらと説明調にならずに済むはずです。型がきっと力になってくれますよ!wink
せっかく学んだので、大いに活用していきましょう!!!

>発想の飛ばし方
季語から連想される言葉の3つ目あたりがちょうど即かず離れずのいい塩梅と聞いたことがあります。
私は「振り子連想法」をしているので、季語と真逆の性質のあるものに飛んで、
そこから季語と共通点のある具体的なモノをチョイスします。
良かったら参考になさってください。理系の人ほど、こういうのは得意と思います。

繋がるはずの無さそうな物の間に繋がりを見つけ出そうとする時に人間が使うのは、間違いなく「理」。故に、「理」から糸口を見つけるのは決して間違っていないと思うし、そう思いたい。
ただし、読み手が「意識下の理」だけで処理できてしまうような句は、ただの「原因―結果の句」であり、俳句では面白くないとされるようである。必要なのは、多分、「無意識下の理」。

どれだけ「理」から糸口を掴もうと思っていても、頭で一生懸命考えているうちは「意識下の理」の呪縛から逃れられない。そこに、発想の跳躍など望みようもない。
皆、色々な連想法を使って句を作るけど、それらも本当は「意識下の理」。いくつか試した上で、たまたま「意識下の理」を程よく脱出できた発想が、「無意識下の理」となる。

「無意識下の理」を掘り起こすのは、太平洋にデタラメに石を投げて、魚に当てるくらい気の遠くなる作業のような気がするけど……しかし、意識して「無意識下の理」を呼び起こせる人間などいない以上、それがもっとも近道であり、唯一の道なのかも。
時々、その「(句意の一割も伝わるかどうか分からない句を書くために)当てずっぽうに石を投げる作業」がひどく虚しく思える事もあるが……それを言っていたら、きっと俳人など務まらないのであろう。きっと。
 
 
 
赤潮……人選一句出たとはいえ、何だか心が折れそう……
……「赤潮+怪談話」は、方向性としておかしかったのだろうか?それとも、あまりにもありきたりだったのか?

私の「理」と、そこから発せられるコメントが、俳句にどこまで役に立っているのか……最近、分からなくなってますthink

◆シラズくん

こんばんは!
【人】おめでとうございます、これシラズくんが「ひまわり」に書いてた夜光虫のイメージですね?
ちゃんと狙った方向で選に入ってるんだから、間違ってないと思いますgood
「怪談話」・・・シラズくんが送ったのがどんな感じの句かは分かりませんが、
民話や伝承を想起させる句が木~金の句の中にいっぱい見つかりますね。
多分、王道の発想なので、たくさんある中からいくつか選ばれているんだと思います。
私も「海神」を題材にしたものがありますが、木曜の句の中で「妾」を使った句にはヤラれました。
ああ、また没句供養しなければ。あうあうあーーー!!!

めぐにゃん、こんばんは!!
忙しかったり落ち込んだりで、なかなかコメントせずにごめんなさい。
でもでもコメントしないときもいつも見てるからねっ!!(ハグ
人選二句おめでとーーー!!

◇赤潮や世界は螺旋で出来てゐる

そうだったんや!と思わせる力技の言い切りですね!
赤潮も確かにコーヒーミルクのように渦を巻いていそう。
ぐるぐる回って見つめすぎると自分がまるで宙に浮かぶ眩暈のような感覚と螺旋のリンクが素敵!
夢枕獏、めぐにゃんの影響で一冊借りてきました(陰陽師シリーズ)
俳句になりそうな素敵なモチーフがいっぱい!
こうやってめぐにゃんは素敵な句を生むんだなあと実感しました!
いつも素敵な刺激をありがとう!

◇赤潮や踏めば病気の分かる石

赤潮と病気の親和性、確かにそうですね!
病気が分かるのだから「+」なんだけど最後に「石」が来ることでぐっと重い感触が残りますね。
病気が見つかって良かったじゃないか、と口にしつつもこれからの治療や療養を思うと胸が塞ぐ・・・
赤潮という不穏な季語がとてもよく合っています。
いや待てよ。「踏めば」だから踏んでいないのか。
その石を前にし不安が心に澱のように溜まっているのかも。
この石を踏めばこの不快な痛みの元が分かるのだろうけど、でも怖い・・・
踏む瞬間を先延ばししたい・・・
ううう、なんて深い句なんだ。めぐにゃん、凄いよ。

素敵な句を読んで力を分けていただきました!ありがとう!


◆シラズ君

シラズ君の苦しい心を分かることはできないとは重々承知していますが
赤潮を一物で読みあげた、なんて上手な句だろうと感嘆しましたよ!
私は夜の赤潮といえば夜光虫しか発想できず、早々に諦めたのでこんなに真正面から
「赤潮が夜も燃えている」と断定した句の強さを組長は選ばれたのだと納得しました。
ああ、これがシラズ君の言っていた「とっておきの言葉」だろうなあと思いましたもの。
自分の心は自分自身さえ忘れてしまうほど頼りないものですが、俳句になれば
形となって世にとどまることができる。
他人の自分でもシラズ君の心に少し触れることができる。
俳句と俳人の皆さんとの出会いに心から感謝いたします。

★ヨミビトシラズさん。「意識下の理」と「無意識下の理」に触れられているところ
に今年の1月に放送のあったNHKのカルチャーラジオの文学の世界「詩と出会う詩
と生きる」
若松英輔氏の第一回放送「詩を感じるには」を思い出しました。もしや
ご存じかも知れませんが抜粋してみました。(-_-;)

詩を感じるために必要なこと

「詩情」が何であるかは、。。。人間が接する、あるいは人間のうちに宿る、
詩になることをもとめる「情」のはたらきといえるでしょう。
「情」は「こころ」と詠みます。
。。。深層心理学者のユングは、人は、自らの個人的無意識を有するだでなく
、普遍的無意識によって、広く、また、深く他者とつながっていると
考えました。だからこそ、私たちは時代や文化を越えた詩にであっても、
こころを動かされることがあるのではないでしょうか。普遍的無意識は、
詩のこころ、詩情の別の名でもあります。
 しかし、「詩」とは何か、「詩情」とは何かを考えすぎると、詩や詩情を
感じづらくなってしまいます。定義は、。。。言語化できるものに
意味を限定しがちだという欠点もあります。。。。

詩の本質とは何か「を」知ること

何かに「ついて」知ることと、何か「を」知ることは違います。さらにいえば、
何かについての情報を知ることと、そのものの本質を感じ取ることは
まったく異なる営みです。
このことの差は、自分が知られる側になって見るとよく分かります。
 たとえば履歴書に書いてあることだけで自分が判断されたらどう
感じるでしょうか。そこに記されているのはたしかに、自分をめぐる
事実ですが、自分に「ついて」書かれたことで、自分の本質「を」めぐって
記されたことではない。そう感じるのではないでしょうか。
 人生の大事は、履歴書に書くことのできないところにある、そう誰しもが
感じているのではないでしょうか。
 詩は、そうした容易に言葉にすることのできないおもいをどうにか
言葉で表現しようとする一つの挑みでもあります。むしろ、自分のなかに
言葉になり得ない、しかし、見過ごすことができない何かが宿るとき人は、
内なる詩人をよみがえらせる。
 「定義は制限である」と天心が語るのは、人はしばしば何かに「ついて」
知ることで、相手との交わりの扉を閉じてしまうことがあるからです。
 美にふれたいと願うなら、何かに「ついて」の方法を取るのではなく、
何か「を」知る、何かと直かにふれあう道を進まなくてはならない、
そう天心は警鐘を鳴らします。
 同質のことは、天心が語った絵画や彫刻においてだけでなく、
詩においてもいえます。。。。

(出典;NHKカルチャーラジオ文学の世界「詩と出会う詩と生きる」若松英輔著
 第一回放送「詩を感じるにはー岡倉天心と内なる詩人」P9-12から抜粋)

実は私はこの放送を聞いた時まだ「詩」とは、「詩情」とは、よくわから
なかったのですが、今日のヨミビトシラズさんの書き込まれた内容について

「意識下の理」⇒「何かに《ついて》知ること」
「無意識下の理」⇒「何か《を》知ること」

と考えてみたくなりました。
するとヨミビトシラズさんの「無意識下の理」を 掘り起こす御努力は
私の勝手解釈ですがこの出典によればまさに「詩」(俳句)へ挑みではないかと
思いました。

 ヨミビトシラズさんのように、この「無意識下の理」を掘り起こすまで
はたしてこれまで私は努力していたのかと思うと恥ずかしくなりました。😅

◆桃にゃん

こんばんは!
コメント有難うございます、桃にゃんも【人】×2句おめでと~!!
「ぞんがい」の方は、「赤潮」で「透明感」を詠むとはまさに虚を衝かれた思い。
【天】の句と似た着眼点だったのではないか?とドキドキしましたよ!
「赤潮」をちゃんと知っている人の句、という私には超えられない壁を感じた一句でした。
そして夢枕獏を借りてくれて有難うございます!
「陰陽師」はもちろんですが、長編「神々の山嶺」も超オススメ!!!
そして、いつもながら句を十倍以上素敵にしてくれる鑑賞も有難う!!
句は読者に育ててもらうものだと実感しておりますshine
感性の豊かな、素晴らしい読者に恵まれて私は幸せです。
これからもどうぞよろしくお願い致します!!

めぐるさん・桃猫さん

≫ああ、これがシラズ君の言っていた「とっておきの言葉」だろうなあと思いましたもの。
≫自分の心は自分自身さえ忘れてしまうほど頼りないものですが、俳句になれば
≫形となって世にとどまることができる。
≫他人の自分でもシラズ君の心に少し触れることができる。

いや……違うんですよ、あれdespair
……一応は、

≫ちゃんと狙った方向で選に入ってるんだから、間違ってないと思います。

とは思うのですが……あれは、完全に「二番煎じな上、あまり強く意識せずに投げられた句」なのですcoldsweats01(それが逆に良かったのかも知れないけど、それはそれで何か皮肉な話ですthink)。

「とっておきの言葉」を使った句が人選入りしていれば、まだ心は折れてなかったと思います。個人的には「地選も狙えるかも」と思っていた句でかなり力が入っていたので、その句が人選だったら「まあ、そんな物か」と思いながらも納得はしていたと思うんです。

で、それがどんな句だったというかというと……

【赤潮や補陀落渡海船還る】

です。

「補陀落渡海(船)」に関してはwiki辺りで調べてもらうとして……この句は「沖へ送り出したはずの補陀落渡海船が、何かの間違いで戻ってきていたらどうしよう?」という発想から生まれた句です。「補陀落渡海」に関しては、前々から一度句にしたいと思っていた言葉で、「赤潮」と「戻ってきていた補陀落渡海船」を合わせた瞬間に、「海・死・臭い・得体の知れない不気味さ・赤(補陀落渡海船には赤い鳥居がある)……リンク多数、これはいける!!!!」と思ったのですが……結果は没にweep
精度不足(≒17音に収めるには内容が多すぎた)なのか、「補陀落渡海」の解釈(捉え方)に誤りがあったのか、「赤潮」と「補陀落渡海船還る」があまりにも近すぎたのか……没の理由が未だに分かりませんdespairできた句のようでいて、実際は「意識下の理」でしかなかったのかも知れませんthink

ちなみに、人選のあの句は

「荒野を走る死神の列/黒く歪んで真っ赤に燃える」
「疾風(はやて)の如き死神の列/抗う術は我が手にはない」

という、「とある歌」の歌詞(特に、「黒く歪んで真っ赤に燃える」)が元になっています。なんで赤潮を見てこの歌を思い付いたのかは分からない(※)のですが、あの独特の前奏が「海(広大さや波のイメージ?)」と結び付いていたのかも(南米の連邦軍本部のJ基地は、開けたジャングルの中にあった気がするが)。
この歌をベースに、没を確信して投句した【赤潮や蒼き荒野を死が走る】の直後に書いた句だったので、大して期待してなかったんですが……分からないものです。あるいは、(※)というのが意外にも「無意識下の理」そのものだったりしてcoldsweats01

なお、どーでも良い話ですが……この句が「一物仕立て」だという事は、言われるまで全く気が付きませんでしたcoldsweats01言われてみれば、確かにそうだdelicious
 
 
 
比良山さん

もっと厳密に言うなら……「何かについて知ろう」としている間は、主体(知ろうとしている本人)の能動的な意思が働いており、それは「意識下の理」が働いている状態だと言えます。
「何かを(本質的な意味で)知る」というのは、「「何かを知ろう」という能動的な意思の積み重ねの下で、不意に感じる「自らの意思や理屈でははっきりと説明できない、「何か」が持つ潜在的な要素」を何らかのきっかけで直感的に掴む事」だと思います。言うなれば、「「何か」が語り掛けてくる声を必死になって聞こうとする」という、「(能動的な意志を元にした)受動的な行為」と言えるかも知れません。
これが作為的かつ効率的にできれば……とも思うけど、それが簡単に出来たら俳人は誰も苦労してないだろうし、俳句その物もそれほど奥深い存在にはなり得ていなかっただろう……多分think

せっかくの機会だから、もう一言だけ追記しておくと……

「俳句の本質」というのは、「読み手の想像力の中にある物を使い、読み手の想像力の外にある物を示す事(※)」ではないかと私は考えています……当たり前と言えば当たり前の話ですがcoldsweats01

で、「読み手の想像力の中にある物を、読み手の想像力の外に持っていく力の素」となる重大な要素・原動力の一つが、この「無意識下の理」ではなかろうかと。
描写や展開で工夫してもある程度「読み手の~(※)」は実行できますが、それしか使っていない小手先の句では、(そうして完成した句が必ずしも悪い句であるとは言えないし、句作の方向として間違っているとも絶対に私は言わないが)やはり句としては限界がありそうな気がしますthink

★ヨミビトシラズさん。補陀落渡海船というとっておきの
言葉が重いというのかあまりにも多くの事柄が含まれ
過ぎていて読者にこの言葉を知ろうとさせ過ぎて「意識の理」に
過剰に引き込ませてかえって読者の想像を限定させて
しまうのかもしれません。よい意味の余裕、アソビを
読者に持たせない。言い換えれば取っておきの言葉に力が
入り過ぎ、野球の投手で言えば肩に力が入り過ぎなのかも。
また付きすぎといえば付きすぎなのかも。😅
私にはよくわかりませんが、勝手なことを申し上げ
ました。お許しください。m(__)m

◆シラズくん

おはようございます!
(へへっ、久しぶりに休みの日に早起きしたぜ~!)

>補陀落渡海船
あ~~~~~!諸星大二郎の漫画で読んだ記憶が・・・!
これが「とっておき」だったんですね、うーん残念!!
「補陀落渡海船」はけっこうな沖まで引っ張っていかれて黒潮に流されるもの、
その海域は、赤潮の発生しやすい場所とはまた違うのが敗因かも。
こういった、頭の中で拵えるような句に関しては、
「確かにそういうことがあるかも知れんなあ」とか、
「確かにそういうふうにも思えるなあ」と、読んだ人が納得するような部分が必要なので、
ちょっと話が飛ぶんですが、ファンタジーこそ確りした観察眼と緻密な構成力が必要と思ってるんです。

「これでどうだ!」と作者が息巻いているような句は、得てして滑りがち。
私にも何かと思い当たるフシがありますcoldsweats01
そして、急に閃いて投句に追加したような句が評価されて、
「エッこの句が!?coldsweats02impact」と驚くことが度々あります。
「烏瓜」の「迷い家」もですし、今回の「病気の分かる石」もそうでした。
私は、この「フッ」を得るために多作しているようなものです。
一生懸命俳句を考えている時じゃなくって、仕事中とかカラオケ帰りとか、
投句を済ませて「ふう」と一息ついた瞬間とかに急に来るのよねcoldsweats01

そんな訳で、今日は朝イチカラオケに行ってくるぜー!
「哀・戦士」歌ってくるね!!!karaokenotes
シラズくんのインスピ元と知ってさらに愛着が湧きましたup
あの前奏たまんないですよね!!

そして!!
「補陀落渡海船」がいずれ別な季語と結びついて、読者を唸らせる日が来ることを確信しています。
notesきっと来ーるーーーnotes


おはようございます!ヨミビトさんと比良山さんのやりとり、なるほどと感心しながら読ませていただきました。めぐるさんとはかぶる部分もありますが、いろいろな言葉を混沌とさせるのが、俳句のコメントっぽいので、僕もお邪魔させていただきます。
まず、補陀落渡海船はイメージを喚起させるいい言葉であり、現物です。これを生かすため、僕は次の3つの方法をとります。
まず、赤潮が視覚の強いネガティブな季語により人は即きすぎを言いますので、この船をポジティブな、のほほんとした季語や時候、例えば、春の海や海の日に登場させ、ギョッとさせる方法です。次に、最後の、三文字しかないのですが、還るではなく、別のどんでん返しの語を連れて、大逆転を狙う方法です。ちと難しいのですが、新たな言葉との出会いにもつながりますので、作業は無駄にならないはずです。最後は、補陀落のみ生かす。中上健次の小説や俳句に、補陀落はすでに蔓延しており、あえてヨミビトさんもそこはわかっていて、渡海船を加えたのかもしれませんが、こいつを海の側でなく、土地の側にもってきて、赤潮とVSさせて、それこそ無意識下に火をつけて想像力をスパークさせる方法です。僕的には物足りないのですが、お題が赤潮なら、これかなあと思います。以上の3つです。
え?言ってばかりでなく、見本を見せろって?おーう、やったるわい。
『海の日を君と補陀落渡海船』
うーん、没か…
では、また、るるる句会で!
追伸:丘から、るるる船、眺めてないで、みんなも乗船してね!

★めぐるさん。ヨミビトシラズさんの書き込みに私も書き込んでいるうちに
句づくりの悩みが湧いてきました。なにかについてではなく、なにかを
知るためにはなにかと直にふれあう道を進まなくてはならないという
天心の言葉が引っかかっています。
これまで俳句を作ってきたが直にふれて作った句はどれほどあったか
ということです。確かに経験や実体験の記憶があってたまたま詠んだ句は
いくつかあり確かにそういう句は多少なりともご評価いただけたものもありました。
しかし大半の句は借り物の情報(最近はネット情報が充実、借り物の情報や知識は
いくらでも時間さえあれば入手できます。)に基づいて自分なりに想像しながら、
俳句入門書の手法をものまねしながら作ってきました。しかし結果は?
いうまでもありません。つまりこのようにして作った句は何か「を」知るまでもなく
期限に間に合わせるために投句していたに過ぎない。かっこつけて言えば納得して
投句したものではない。それなら投句しなければいいと言われそうですね。😅
なにごとも入門時は訓練訓練、テニス、剣道なら素振り素振り、語学学習なら
多く聴いて多く書いて多く話す、そして俳句は多作多捨です。直に触れるため、
テニスなら負けても試合に出る、外国語なら外国人と会話するというように、
俳句ではあらゆる句会に投句して講評を頂くべきと思いやってきました。
しかし俳句におけるものごとに直に触れることは句づくりの前にやるべきこと
もあるようです。歳時記と辞書、パソコンとテレビそして俳句の手法の
手引き書を見ながら机を前にしてああでもないこーでもないと考えるだけでは
ないとはわかっているのですが、これも結構楽しくてついこの蟻地獄に陥って
しまいます。じゃ吟行行けば?山歩きすれば?街を散歩すれば?芭蕉や西行の
ように行脚すれば?等など聞こえてきますがこういうことでしょうか?

 俳句における何か「を」知る、何かを直にふれあう道を進むということは
どういうことなのかまだ私はよくわかっていないようです。
俳句ポストのよしあきくんならまだまだ修行が足らんのう。
そんなことを云うのはまだ3年早い、いや5年、いや10年早いと
言われそうですが、めぐるさんはどうのように思われますか?
またまたご多忙中ご迷惑をおかけしますが、
アドバイスお願いします。(@_@;)


◆比良山さん

こんばんは!
いつもコメント有難うございます。
比良山さんには、毎回同じようなことを書いてきていると思いますが、
それ以上のことは私には分からないし、何も言えません。
日々の積み重ね、日々の向き合いの中で、比良山さんの俳句が生まれてくると思うので、
結果を焦らず、ゆっくり楽しんで頂ければと思う次第です。
私もまだまだまだまだ勉強中の未熟ものです。お互い頑張りましょう!

★めぐるさん。いつもお手数かけております。俳句ポストで投句していて
いつも人で2句以上コンスタントに掲載される方々と私のように
並みが常連でたまに人へ行ったり来たりの違いは何なのか、この歴然と
した格差は何なのかつい考えたくなります。😅
もちろん俳句の基本的な手法や作法の取得がまだまだ未熟であると
考え訓練が必要なのだと自分に言い聞かせて句作りを続けている
わけですが、結局は才能、感性の違いだよと云うことでしょうか。😞
ただ句作りの姿勢として何か違いがあるはずと思い、天心の
何か<を>知るには何かに直に触れあうことの意味を考えています。

虚子さんの客観写生で言えばとことんその何かに向き合い眺め
ついにはその何かを越えて感じ取ることにあるとも
言えると。。。今日のところはこれぐらいにしておきます。

実際に句作りのスランプ対策として写生の基本に戻り
ひたすら句を作る方が多いと聞いております。

あまりの暑さで早朝から頭が沸騰しています。(@_@;)
めぐるさん。皆様お身体をご自愛ください。

比良山さん

話のきっかけを作った人物(?)がこんな事を言うのも何なのですが……最後に一言二言。

(私が人に言える立場ではないですが)「考える事」はもちろん大事ですが、「考えすぎない事」も大事です。病気の元ですbearing(※)
そして、それ以上に……何より大切なのは、「飽きない事、諦めない事、続ける事」です。マイペースで続けましょうconfident

道端の草一本(=何らかの小さな発見)にしたって、自分の足で道(=俳句の道)を歩いていなければ出会えません。しかし一方で、俳句の道を歩むためには、必ずしも実際に吟行などに行く必要はありません。何よりも、「続ける事」ですwink

(※)→「何かについて知ること(自発的行動)」から「何かを知ること(無意識下の理)」に至るのは、修羅の道だと思います。意識してあれこれ考えていても、時にその「自分が考えている事そのもの」を疑いたくなる時や、実際に疑わねばならない時もあります。考えれば考えるほど、深みに嵌まります。それが、「考える事そのものが好きだからやっている」のではなく、「自分の句を良くするためだけにやっている」のなら、なおさら。
他人の事を心配できるような身分ではありませんが、どうか気を付けて下さいdespair

【PS】
めぐるさん、司さん、桃猫さん、色々とすみませんcoldsweats01
また、るるる句会の方でお会いしましょうconfident

★ヨミビトシラズさん。アドバイスありがとうございます。ご心配をおかけして
申し訳ないことです。m(_ _)m
みなさんのアドバイスをいただいたおかげで思い出した記事がありました。
また借り物で申し訳ないですが、俳壇5月号で「どう打開するスランプ?」の
特集があり井上弘美先生が「俳句に試される」という巻頭提言でご自分の
スランプ対策をいくつか述べられていましたが、最後のまとめで
「俳句を長く続けるということは、畢竟、自分と深く出合うということだ。
自分が深まらなければ、俳句は深まらない。ここを疎かにしてテクニックを
身に付けても、本当の解決にはならない。「スランプ」というのは、
深まるべき時にきている時期のことだ。だからこそ、渾身の努力で克服しなけ
れば次なる自分に出合えない。
一喜一憂することなく、目差を遠く、ひたすら歩き続けること。「スランプ」
という形で、俳句が試すのである。」<出典:俳壇5月号p53>

また「ここで大切なことは。。。俳句の上達という即効性を求めるのではなく
俳句文芸の凄みに触れるということだ。「こんな句は私には詠めない」と
思うのではなく、「こんな凄い俳句に出合えることは素晴らしい」と心から
思えたら、エネルギーが湧く。必要なのは前向きのエネルギー。。。。。」
<出典:同上p52−53>

もう少しこの記事を熟読していればと思いましたが、このるるる句会や
俳句ポスト、一句一遊等のお世話になっている句会で結果に一喜一憂する
ことなく、また俳句の上達という即効性を求めずに「こんな凄い俳句に
出合えることは素晴らしい」と思えるように頑張ります。😅

◆比良山さん

こんばんは!
連日アツいですね!

>「こんな凄い俳句に出合えることは素晴らしい」と心から思えたら、エネルギーが湧く。
仰るとおり!!
『俳句ポスト』や『一句一遊』で、毎回凄い句に出会える私たちは幸せですねshine
もちろん、先人の名句を浴びるほど読むことだって出来るわけですし。
もがいているうちに、ある日突然突き抜けることも多いと聞きます。
私自身がもがきにもがいている最中の人間ですので、
「一緒に頑張りましょう!」ということしか出来ないのが申し訳ないですが、
未熟な自分を悔しく思う気持ち、素晴らしい句に憧れる気持ち、
その両方をエネルギーにして、ちょっとずつでも進んでいけたらと思う毎日なのです。
そして、私は自分の得たことは残らずとは言えないまでも、
出来る限りブログに書いているつもりです。
その中で、何か学びや気づきになる部分があれば幸いに思います。
「るるる句会」ともども、どうぞよろしくお願い致します。

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