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私の好きな詩・句・その他

2017年7月21日 (金)

◆「自分の感受性くらい/茨木のり子」

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ




「なにもかも下手だったのはわたくし」
この一行の破壊力がはかり知れない。
何かがうまく行かない時、原因を外に求めてしまうこともありますが、
結局、最終的には、この言葉に落ち着くんですよねweep
・・・出来れば、この詩を何度も繰り返し読まずに済むような人生がいいと願いながら、
けっこうたびたびページを開く自分がいますsweat02

2017年7月16日 (日)

◆「紙風船/黒田三郎」

紙風船


落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように

2017年7月12日 (水)

朝蝉や水輪百千みな清水/中村汀女

notesみずのわ みなわ
 水輪百千(みなわひゃくせん)みな清水
 やわらかに やわらかに
 甘さを包んだ すいぜんじnotes

―姿に感嘆、味に感嘆、銘菓すいぜんじ。

私と同世代の熊本県人なら皆知っている(多分)、熊本銘菓すいぜんじのCM。
今も放送されているのかは定かではありませんが、
美しい映像と美しい歌声は、今も心に残っています。
この歌詞のもとになったのが、熊本出身の中村汀女の「朝蝉」の句だったと知ったのは、
ほんの数ヶ月前のこと。
知らなかった・・・小学生の頃から、あんなに親しんだあの歌が・・・俳句だったなんて。
「みなわひゃくせん、みなしみず・・・」
このしっとりと美しいメロディをお聞かせ出来ないのがもどかしいです。
「水輪百千」、どういう景か伝わるでしょうか。
あの山頭火も愛したという熊本の水、
夏は、1分と足を入れていられないほど冷たい湧水。
深い地中から水と一緒に湧き出るぷくぷくと細かい泡が、
水面でぽかっと開いて水輪を描く、
その水輪が百も千も広がっているというのです。
なんと豊かな光景でしょう。
この清らかな光景には、空気の最も澄んだ早朝がふさわしい。
シャワーのように降り注ぐ蝉の声もまた爽やかなのは、
それが早朝に鳴く蜩をすぐに連想するからでしょう。
明るさを増していくと、鳴きだす蝉も増えて来ます。
その賑やかで力強い声も、また「清らかな湧水」に似合いますね。
上五「朝蝉」としたことにより、未明から始まる「朝」の幅をたっぷりと感じ、
清澄な神秘性から、逞しい生命力まで受け取ることが出来ます。

水道水の殆どが地下水。蛇口を捻れば天然のミネラルウォーターが流れる熊本。
こんな都市は日本で熊本だけ、世界にも稀だといいます。
いつまでもいつまでも、この句が愛誦され続ける土地であって欲しいです。

2017年4月 8日 (土)

◆「夢みたものは・・・・/立原道造」

夢見たものは‥‥


夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

詩集「優しき歌」より。

2017年2月19日 (日)

◆「こころ/萩原朔太郎」

こころ

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生(そのう)のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。




萩原朔太郎「純情小曲集」より


最近になってカラオケで「テルーの唄」をよく歌っています。
歌詞が、この詩からインスパイアされたものだということです。
手嶌葵バージョンと谷山浩子バージョンがあるんですが、
うすももいろの紫陽花や自然の風景の美しい、谷山浩子バージョンで歌っていますnotes

2017年2月11日 (土)

【名】野遊びの妻に見つけし肘ゑくぼ/森澄雄

妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、
森澄雄以外に誰かいるだろうか
          (by清水哲男『増殖する俳句歳時記』より)

愛妻俳句で有名な森澄雄から、春の一句を紹介します。

「野遊び」と「ゑくぼ」、少女や幼児で描かれそうな取り合わせですが、
森澄雄の目は「妻」に、しかも「肘えくぼ」に注がれています。
微笑ましさに、そして一抹の羨ましさに、もう、メロメロになってしまう一句です。
笑窪の生まれる、ふくよかで瑞々しい腕・・・。
その腕は、夫を支え、生活を守り、日々を誠実に慈しんでいるのではないかと、
だからこそ夫は妻の肘えくぼに、こんなにも優しい眼差しを向けているのではないかと、
ジワ・・・っと膨らむ余韻にうっとりlovely

森澄雄は、「死の行軍」と呼ばれたボルネオからの生還兵。
マラリアや飢餓によって、約200人の中隊がわずか8名になっていたそうです。
「生きて帰国できたら、妻や子供を愛し、平凡に生きてゆきたい」
その思いが森澄雄の俳句の原点になったといいます。
もちろん、そういった背景を知らずとも、句の魅力は揺るがないのですが、
「そうだったのか」と知った時、胸に迫ってくる思いが、
句を一際印象深くすることも間違いありません。

向日葵や起きて妻すぐ母の声
子が食べて母が見てゐるかき氷
妻がゐて夜長を言へりさう思ふ
除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり

いずれの句も、「そんな妻と一緒にいられて幸せだ」といった、
作者の満ち足りた微笑みが見えるようです。
お見舞いに行く度に『NHK俳句』テキストなどを持っていって、
お義母さんに俳句を読んで一緒に楽しんでいますが、
一番反応がいいのが森澄雄の句です。
やはり、自分の身に置き換えられて、スっと入ってくるのだと思いますし、
何より幸福感が伝わるのでしょう。
とても良い表情で頷いてくれるのです。

最後に、森澄雄の言葉を紹介します。

「ぼくはいっぺんも、自分が俳人だと思ったことはありません。
俳人が俳句を作るのではなくて、素の人間が俳句を作っている、それが大事なんです。
俳句を拵える時に皆さんは、自分の人生はそっちに置いて、
いい句を作りたいなあという思いで、材料や季語を探す場合が多くないでしょうか。
ここにお集まりの皆さんには、六十年なり、七十年なりを生きていらした方が多い。
それだけの人生を生きてきたということは、その人にとってもう宝なんです。
人生の味わいをたっぷりと持っているはずであって、
いちばん豊かな俳句をつくることができるという感じがいたします。
ですから、自分がもっているその宝で俳句を作らないで、ただの俳人になって、
頭ばかり働かせて材料や季語を探しているのはとても惜しいことだと思いますね。
自分の人生で俳句を詠む、素の人間が俳句を詠む、これが最も大切なんです。」

(ブログ「再生への旅」より引用)

2017年1月 4日 (水)

◆「見る」三好達治

見る


ひょろひょろ松に暮れかかる靄の上
町の上 丘の上 草の上
昨日もここにやつてきた路の上
暮色はいよいよ濃やかに それでもずつと向ふの方は息づくやうに透明な
雲一つない 何もないひろい景色を見る
海を見る
そこには何もないのを 見る

2016年11月23日 (水)

◆「どうしていつも」まど・みちお

どうしていつも


太陽



そして



やまびこ

ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう


まど・みちおさんは、私が一番最初に好きになった詩人です。
1994年、国際アンデルセン賞を日本人で初めて受賞。
生涯にわたって詩を作り続け、2014年2月28日、104歳で永眠。
まどさんの詩による多くの童謡は、日本の宝だと思っています。
そしてまどさんの詩の数々は、私にとっての宝物です。

2016年11月12日 (土)

◆「昨日はどこにもありません」/三好達治

昨日はどこにもありません


昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の抽出しにも
こちらの机の抽出しにも
昨日はどこにもありません

それは昨日の写真でせうか
そこにあなたの立つてゐる
そこにあなたの笑つてゐる
それは昨日の写真でせうか

いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計

昨日はどこにもありません
昨日の部屋はありません
それは今日の窓掛けです
それは今日のスリッパです

今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと

いいえ悲しくありません
何で悲しいものでせう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか

昨日はどこにもありません
そこにあなたの立つてゐた
そこにあなたの笑つてゐた
昨日はどこにもありません

2016年11月 1日 (火)

◆詩集「速さのちがう時計」より/星野富弘

たち止まっていいんだよ
ふり返っていいんだよ
そこに美しいものを見たのなら

すわりこんで
ずうっと見ていて
いいんだよ

Photo_2


カキドオシという、小さな野の花の画に添えられた詩です。

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